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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)376号 判決

控訴人 方元俊

被控訴人 朝日生命保険相互会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、金二三万二、四一八円および内金二二万三、一七八円に対しては昭和三五年一〇月一九日以降、内金九、二四〇円に対しては同年一一月一九日以降各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の陳述は、双方各代理人において、それぞれ別紙準備書面および答弁書記載のとおり陳述したほか、原判決の第二、第三のらんに摘示されたところと同一であるから、これを引用する。

証拠として、控訴代理人は甲第一、第二号証を提出し、被控訴代理人は右甲号各証の成立を認めた。

理由

(一)  訴外正保トミは、昭和三〇年一二月二六日控訴人主張の本件養老保険契約を締結したこと、(右契約においては、被保険者を正保トミとし、保険金受取人としては保険期間満了の場合は被保険者、被保険者死亡の場合は相続人と指定している)、正保トミは昭和三五年五月二〇日死亡したこと、しかしてその法定の遺産相続人としては、配偶者、直系卑属、直系尊属のいずれもなく、ただ姉田山すみ、弟正保良治の両名があるにすぎなかつたが、正保トミは同年二月一七日公正証書により自己の所有財産全部を控訴人に包括遺贈する旨遺言していたこと、以上の事実は当事者間に争がない。

(二)  元来、養老保険契約において、被保険者死亡の場合の保険金受取人を単に「相続人」と定めその氏名を表示しなかつた場合は、他に特段の事情のないかぎり、保険金請求権発生当時の相続人たるべき者個人を保険金受取人に指定したものと認めるのが相当である。(大審院昭和一三年一二月一四日言渡判決、民集一七巻二、三九六頁参照)。しかして右の如く保険金受取人に指定された相続人は、被保険者の死亡によつて、保険契約に基く当然の効力として保険金請求権を取得するものであつて、それは相続に基く承継取得ではないから、この場合保険金請求権は右相続人の固有財産に属し、その相続財産に属するものでないことは当然である。

ところで控訴人は、(1) 「包括受遺者は、本質的には相続人と異なるものではなく(民法第九九〇条参照)、包括遺贈は相続人を指定する行為に外ならないから、控訴人はまさに本件保険金の受取人に指定された相続人に該当する」旨主張する。しかし包括遺贈は遺贈の一種であつて、相続でないことはもちろんである。(遺贈は被相続人の意思に基くものであるが、相続は直接法律の規定に基くものであり、前者には条件や負担を付することができるし、かつ後者においては代襲相続が認められるのに反し、前者においては受遺者が相続開始前に死亡した場合は原則として失効する等の差異が存し、両者を同一視し得ないことは当然である)。しかして現行法上相続は法定相続のみであつて、遺言による相続人の指定は認められていないことは異論のないところである。それ故、この点に関する控訴人の主張は、独自の見解であつて採用し難い。

次に控訴人は、(2) 「兄弟姉妹には遺留分がないから、これらの者が法定の遺産相続人である場合、被相続人がその全財産を第三者に対し包括遺贈したときは、兄弟姉妹の相続分は皆無となるのであつて、かかる全然相続分のない者は、もはや相続人ということを得ない。それ故本件においては、正保トミ死亡当時、その相続人がなかつたことになるから、包括受遺者たる控訴人が当然本件保険金請求権を取得したものである」旨主張する。ところで兄弟姉妹には法律上遺留分がなく、したがつて被相続人がその全財産を第三者に包括遣贈したときは、兄弟姉妹の相続分が皆無となることは所論のとおりであるが、しかしこれがため兄弟姉妹が相続人たる地位を失うべきいわれはない。(このことは、右の場合において、例えば、包括受遺者が遺贈の放棄をした場合、当然前記兄弟姉妹が相続できる事実から見ても明白である。これに反し、相続欠格者または廃除の確定裁判を受けた者においては、相続し得る余地は全然ない)。それ故、この点に関する控訴人の主張も採用することができない。

次に控訴人は、(3) 「仮りに控訴人の以上の主張が理由がないとしても、保険金受取人を相続人と指定した場合は、通常保険契約者の意思は、右保険金請求権を自己の相続財産に帰属させる趣旨であると解するのが当然であり、本件において正保トミの意思もその趣旨であつたものと認められる。したがつて本件保険金請求権は相続財産に属し、当然控訴人の取得すべきものである」旨主張する。しかし保険金受取人に指定された相続人が、被保険者の死亡によつて保険金請求権を取得するのは、保険契約に基く当然の効果であつて、相続に基く承継取得ではなく、したがつて保険金請求権は、相続人の固有財産に属し、その相続財産に属するものでないことは、すでに説示したとおりである。しかして本件にあらわれたすべての資料によるも、正保トミが本件保険金受取人の指定に当り、被控訴人に対し、特に本件保険金請求権を自己の相続財産に帰属せしめる趣旨の意思表示をしたものと認めることはできない。それ故、この点に関する控訴人の主張も独自の見解であつて、採ることを得ない。

その他本件保険金受取人を包括受遺者たる控訴人と指定する趣旨であつたと認めるに足る適確な証拠はない。

(三)  以上の次第であるから、本件保険金請求権は、正保トミの相続人である姉田山すみ、弟正保良治の両名が取得したもので、控訴人が取得したものということはできない。それ故、これを控訴人が取得したことを前提とする控訴人の本訴請求は失当というの外なく、これを棄却した原判決は相当である。よつて本件控訴は理由がないから、これを棄却すべきものとし、控訴費用につき民事訴訟法第八九条、第九五条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 牛山要 田中盈 土井王明)

控訴人の準備書面

第一、原判決は、「わが民法第九九〇条は遺言によつて相続人を指定する制度を認めたものではない。民法第九九〇条は包括受遺者は相続人と同一の権利義務を有すると規定しているだけであつて、その趣旨は包括受遺者が相続人と同様の地位にあることを示したに過ぎず、包括受遺者が相続人そのものになることを意味するものではない。」と判示し、包括受遺者と相続人とは名称が異るとおり本質的には全く別個のもので両者は別異の取扱いを受けるものであると云う前提で論を進めているが、右判示は法律の解釈を誤まつたものである。

以下その理由を述べる。

一、原判決は、「わが民法は相続人の指定なる制度を認めていないが、外国の立法例には相続人の指定を認めたものがある」旨示唆している。控訴人はその主張を徹底させるため日本民法の母法とも云うべきドイツ民法について若干の考察を加える。

ドイツ民法は包括遺贈を認めないで相続人の指定のみを認めている。そして仮りに被相続人がその財産の全部若しくは分数的部分を遺贈したときは、受遺者が相続人として表示されていなくとも相続人指定とみるべきである旨の解釈規定を設けている。いわゆる包括遺贈を相続人の指定とみてその効果を生ぜしめている。

そこでわが民法をみるとドイツ民法とは逆であつて、第九六四条で包括遺贈を認め、第九九〇条で包括受遺者は相続人と同一の権利義務を有すると規定して、相続人の指定を認めたに均しい取扱いをしている。右事情について、法典調査会では、「名こそ受遺者でありますけれども、実際は財産相続人である。依つて多くの国の法律には相続人と云つている位であります」(法典調査会議事速記録第一九、四四二丁以下)と説明されており、包括受遺者と相続人とは本質的には異ならないと云うのが立法の趣旨であつた。法律学体系コンメンタール(我妻栄、立石芳枝共著)は「包括遺贈を認めたことは遺言によつて相続人を指定することを認める法制と同一の結果となる」と説明しており、山中康雄氏は注釈相続法(下)一一頁において「包括遺贈は実質的には相続人の指定である」と説明している。

以上のとおりであつて、わが民法上包括受遺者と相続人とは名称こそ異るが本質的には同一のものであり、同様の取扱いを受けるべきものである。

二、なる程わが民法は、法的形式としてはドイツ民法のように相続人指定の条項を掲げていないが、だからと云つてわが民法が相続人指定の制度を実質的にも否定しているとは云い得ない。試みに改正前の旧民法を考察してみよう。

遺言について、旧民法と現行民法と著しく異る点は、旧民法が遺言によつてなし得る行為として

1、養子縁組即ち遺言養子(旧法第八四八条)

2、家督相続人の廃除及びその取消(旧法第九七六条、同九七七条第四項)

3、家督相続人の指定及びその取消(旧法第九八一条)

4、親族会員の指定(旧法第九四五条)

に関する規定を掲げていることである。右は主として家の承継者の指定廃除に関する事項を中心とするもので遺言相続上重要な規定であるが、右により明白なとおり旧法は既に家督相続人の指定制度を法的形式としても採用しているのである。なぜ旧法が遺産相続人の指定について言及しなかつたかと云えば、遺贈に関する第一〇六四条及び第一〇九二条により相続人指定と同一の効果を期待し得たからである。

昭和二二年の民法大改正の際、家の廃止に伴い前記規定は削除された。しかしその故に相続人指定制度も否定されたと考えるべきではない。右大改正は個人の尊厳と両性の本質的平等と云う理念に基くものであり、従来の相続が家と云う固い枠の中において意義を有していたのが、現行法においては、相続は私有財産制度の延長としてのみ意味を有することとなつたのである。

この意味で相続人の指定と云う考え方は旧民法時より一層自由なものとして肯定されるべきものである。旧法第一〇六四条及び第一〇九二条はその儘存置されて現行法第九六四条及び第九九〇条となつているが、その内容は旧法と比較にならない程増大されているのである。現行法は法的形式として相続人指定の条項を掲げていないが、相続人の指定制度は法定相続制度の中でも単独相続制度がとられているところでのみ存在意義があり、共同相続制度のもとでは包括遺贈の制度があればこと足りるのであるから、旧法第一〇六四条、同一〇九二条の規定をその儘新法に移行させるに止まり、ことさら相続人指定の条項を掲げなかつたのである。このことは前記法典調査会議事速記録によつても明らかであつて、現行法が相続人指定制度を否定したものとは云い得ない。

法的形式として相続人指定の条項がなくとも、包括受遺者は相続人としての取扱を受けるべきであることは以上のとおりであつて、これを否定することは民法の進化の方向に逆行するものと云うべく、遺言が今後相続制度において重大な役割を果すことが予測される今日妥当な考え方と云い得ないのである。

三、現行法上「相続」と云う言葉を定義すれば「相続とは、ある人が死亡した場合その者の財産上の法律関係が他の人に移行することである」、或いは「相続とは死亡者の財産を包括的に承継することである」と云い得よう。そしてその「相続する人」が「相続人」である。このことは民法第八九六条により明白である。ところで民法第九六四条の包括受遺者も亦右の「相続する人」であり、「相続人」と云い得るのであつて、民法第九九〇条はこのことを明示した規定である。特に全財産の包括受遺者は全く相続人と同一のものとみて差支えないと考える。

包括受遺者と法定相続人との間には、遺言相続の性格に基く相違点があり、それは包括受遺者には遺留分がないことであるとされている。しかし法定相続人であつても兄弟姉妹には遺留分がないのであるから、包括受遺者に遺留分がないからと云つて、これを相続人でないとする理由にはならない。

以上の理由により原判決の前記認定は法律の解釈を誤まつたものと云うほかはない。

第二、原判決は「相続財産全部の包括受遺者は相続財産全部を承継するから、本件で問題になつている保険金請求権が相続財産を構成するかどうかが更に問題となる。

この問題が実は本件における争点なのである」と判示しているが、右は法律の解釈を誤まつたか或いは控訴人の主張を誤解したものである。

一、推測するに原判決が誤解に陥つた原因は、法定相続人と云う言葉の概念は包括受遺者と云う言葉の概念より広範な概念であると錯覚したことにあると思われる。右錯覚に基き原判決は本件保険金受取人として指定された「相続人」から包括受遺者のみを排斥し、法定相続人だけを該当者と認定したものである。なる程旧法時の法定相続人は家督相続人を含めた場合包括受遺者より広い権利を承継した。そして旧法時行われた相続は大部分が家督相続であつたから、我々は相続と云えば家督相続を連想するように慣らされていた。しかし現行法上の相続人は旧法時の遺産相続人に当るもので、被相続人の遺産についてのみ権利義務を有する者で、包括受遺者との間に権利の消長はないものである。錯覚の原因となると思われる祭祀承継については民法第八九七条が規定しており、祭祀は法定相続の対象から除外し、第一順位者は被相続人の指定する者としている。このように包括受遺者と法定相続人との間には権利の消長がないのに、原判決は法定相続人の方が広範な権利を有するかの如く誤解し「若し保険金請求権が相続財産を構成しないならば、包括受遺者はこれに対して権利を有しない」として包括受遺者のみを排斥し、法定相続人を権利者としたが、民法第九九〇条は右両者は同一の権利義務を有すると規定しているのであつて、何故包括受遺者だけが排斥されなければならないのか理解に苦しむ。

二、原判決は保険金請求権は遺産を構成しないとの理由で、先ず包括受遺者を排斥し、請求権者は法定相続人であると断定し、然るのち民法に従い法定相続人は本件の場合被相続人の姉田山すみ及び弟正保良治であると結論しているが思考の順序が違つている。

保険金請求権が遺産を構成するか否かは、本件の場合二次的な問題であつて、保険金受取人として指定された「相続人」は誰であるかを定めることが先決問題である。保険金請求権が遺産を構成するか否かによつて指定された「相続人」の範囲が変動するのはおかしな事であつて、寧ろ被相続人との関係において相続人の範囲は決定さるべきものである。

相続人は被相続人が死亡するまでは特定されない。法定相続人として兄弟姉妹のみがありほかに認知されない子があつた場合、遺言で子の認知をすれば、相続人は兄弟姉妹でなく認知された子である。又死亡時子である胎児があつて生きて生れた場合、その胎児が相続人である。このように相続人は相続開始の時に特定されるのであつて、その時包括受遺者がおれば、これも亦相続人と同様の扱いを受ける。保険金受取人として「相続人」と指定してあつても、その地位は事故発生までは単なる期待権であつて、この権利が保険契約者の意思により簡単に失われることがあつても不都合なことではない。そして本件の場合、誰が相続人であるかと云うことはすべて民法の規定によるのである。

原判決は、本件の争点は保険金請求権が遺産を構成するか否かにあると判示しているが、そうではなくて飽くまで保険金受取人として指定された「相続人」は正保トミ死亡の場合具体的には誰であるかと云うことが本件の争点である。そしてそれをきめるものは保険法でもなく商法でもなく、民法である。民法によれば包括受遺者は相続人と同一の権利義務を有するのであるから、少くも包括受遺者を右保険金請求権者から除外することはできないのである。

然らば本件の場合、兄弟姉妹はどうであろうか。全財産の包括遺贈があつた場合、兄弟姉妹は遺留分がないのであるから相続分は零となる。相続分のない相続人と云うのは無意味であつて、この場合兄弟姉妹は既に相続人ではなくなつている。民法第八九二条は、遺留分を有する相続人について、相続人の廃除ができる旨規定しているが、遺留分のない相続人はこれを相続人廃除の対象にならないとしている。これは全財産の包括遺贈或いは相続分を零と指定することにより容易に相続人廃除と同一の効果を得られることによるものである。従つて本件の場合、全財産の包括遺贈があつたのであるから、姉田山すみ及び弟正保良治は既に相続人ではなくなつており、保険金受取人として規定された「相続人」に該当する余地なく、右「相続人」に該当するものは包括受遺者である控訴人だけであると云うことになる。

三、民法第九九〇条の趣旨は、「相続人」と書いてあるところは「包括受遺者」と読み替えてよろしいと云う意味に解すべきであり、特に全財産の包括受遺者は何らの制約なく相続人と同義語に解すべきである。

右は民法に限らず例えば通運事業法第八条、航空法第一一六条、港湾運送事業法第一八条、恩給法第一〇条等の相続人についても同様で、右相続人の範囲は民法により決定すべく、その際包括受遺者をこれから除外する根拠はない。

四、以上の理由により、原判決が「保険金請求権が遺産を構成するか否かにより本件相続人の範囲が変る」と云う前提に立つて論を進めたことは間違つていることが明らかである。

第三、仮りに以上の主張が採用されず、包括受遺者は飽くまで相続人とは異るもので同様の取扱いを受け得ないものであるとしても、原判決が「本件のように相続人と指定した場合は保険金請求権は相続財産を構成せず、従つて包括受遺者は権利者でない」と判示し、姉田山すみと弟正保良治が権利者であるとしたことは間違つている。

遺留分を有する相続人があるにも拘らず、全財産の包括遺贈があつた場合、遺留分権利者は遺留分の範囲において相続人たることを失わないと云うのが通説のようである(反対説によれば、右の場合遺留分権利者と雖も相続権を失い且遺留分権利者として減殺請求権を行使し得るに過ぎないものであつて、減殺請求権は相続権の行使でたく遺留分権の行使であると説明している)。右通説に従うとしても、法定相続人として遺留分を有しない兄弟姉妹だけしかない場合全財産の包括遺贈が行われたときは、右兄弟姉妹はもはや相続人ではないと云うことは通説も認めるであろう。その理由は第二項二、において既述したとおりである。

本件の場合法定相続人としては遺留分を有しない姉田山すみ及弟正保良治があつただけであるから、控訴人に全財産の包括遺贈があつた以上、もはや右姉弟は相続人ではなくなつている。そうとすれば本件で指定された相続人は不存在と云うことになり、結局指定がなかつたと同様の結果となる。指定がない場合保険金請求権は相続財産を構成すると云うことは問題がない(原判決もこの点は認めている)から、包括受遺者である控訴人が請求権者となることに疑問の余地はない。

第四、原判決は、死後の保険金受取人を単に相続人と指定した場合「この指定をもつて保険金請求権を相続財産とする意味だと解するのは無理であろう。と云うのは相続財産とする積りならば被保険者死亡の場合受取人を全然指定しておかなければよいのであつて、わざわざ相続人と指定したのを全然指定しない場合と同じと考えるのは、文言解釈の理に外れることになるからである」と判示しているが、これは法律家の机上の解釈であつて現実を無視したものである。

その理由は、

一、保険契約者の中極めて少数の者を除きその他の大部分の者は、保険金請求権と云うものは或る場合には遺産を構成し或る場合には構成しないものであると云うことを知らないのである。従つて受取人を指定するとき契約者は原判決のいうようなことを考えていないとみるのが、現実に添つた見方である。

二、相続税法第三条第一項第一号は保険金にも相続税を課しており、保険契約者は保険金請求権も遺産を構成していると認識しているのが普通である。遺産を構成しないと云う法理は特殊なもので、一般には理解し難く普及した考え方ではない。

三、原判決は「相続財産とする積りならば被保険者死亡の場合受取人を全然指定しておかなければよい」と判示しているが、保険会社は保険契約の際右指定がなければ保険契約が完結しないと考え、必ず何らかの指定をさせていることは公知の事実である。その場合特定人を指定せず単に「相続人」と指定したときは、寧ろ相続財産とする積りであつたと解するのが契約者の意思に符合する考え方である。

四、本件の保険契約者正保トミは一主婦であつて、保険に関する法規については無知であり、常識的に考えて「相続人」と指定したものであり、その場合保険金請求権は当然遺産を構成すると認識していたものと解すべきである。

正保トミは右のように認識していたからこそ、その全財産を控訴人に遺贈する旨遺言した後、甲第一号証である生命保険証券を控訴人に渡したのである。

五、以上のとおりであつて、亡正保トミは「相続人」と指定するに当り、保険金請求権は遺産を構成するものと認識していたと考えるのが常識的であり、又真実に即している。原判決のこの点に関する前記判示は、契約者の意思を歪め現実を無視した解釈と云うほかはない。

第五、原判決は保険金受取人を相続人と指定した場合の契約者の意思を探求しているが、その場合には前項に述べた結論となるべきものと考える。しかし契約者の意思を本人死亡後に確定すること自体が困難なことであつて、本件のような場合寧ろ契約者の意思を離れて法律的に客観的に解明することが望ましい。

既述のとおり「相続人」と云う言葉の概念は民法が定めたものであり、それによれば相続人とは遺産を相続する人である。

相続人は遺産と結びつけられて始めて意味があるのである。第二項三において判示した通運事業法第八条、航空法第一一条、港湾運送事業法第一八条に掲げられた相続人は遺産に関連した場合初めて意味がある。恩給はもともと民法上の相続の対象にならないものであるが、恩給法第一〇条に相続人を掲げることにより或る場合には民法上の相続の対象になることを示した。

右は相続人を掲記することにより、元来相続の対象でなかつたものを相続の対象にすることができることを示したものである。

以上のとおりであるから、保険金請求権は相続の対象とならない場合があつても、受取人を単に相続人と指定した場合は、相続の対象とする意思表示と解することが法解釈上妥当なものと考える。本件の場合はこれに当るのであつて、契約者の具体的な意思の探求は寧ろ必要でなく、相続人は遺産を承継する人であると云う民法の定義から解釈して、受取人を単に「相続人」と指定した場合は保険金請求権を遺産とする意思表示とすべきものである。

第六、以上の理由により、控訴人の請求を棄却した原判決は結局理由がないので、控訴の趣旨記載の判決を頂きたい。

被控訴人の答弁書

(イ) 控訴人の主張の第一点(準備書面第一及び第二)は包括受遺者は相続人であるとの法律論であるが、右主張は「相続人」の本質についての誤解に基いている。

相続人は被相続人と特定の親族関係にあるもののみに与えられる法律上の地位であつて、この親族関係が相続人たることの本質をなす(指定相続人なる制度はこの身分関係の擬制である)この本質を無視し、偶々包括受遺者が民法第九百九十条により相続人と同一の権利義務を有することを捕え、何等被相続人と身分関係のない包括受遺者を「相続人」なりとなす控訴人の主張は採ることができない。右民法第九百九十条自体「包括受遺者は相続人と同一の……」と規定し包括受遺者と相続人とを峻別している。

包括受遺者が相続人でないことは明かである。

尚我が民法では相続人法定主義であつて民法所定の者以外に相続人を認めないことは原審に於て被控訴人の主張した通りである。

(ロ) 控訴人の主張の第二点は(準備書面第二、第三)、遺留分なき相続人は包括遺贈によつて相続人たる資格を剥奪される、との前提の下に本件に於ける相続人は遺留分なき相続人であるから包括遺贈により、本件保険金は指定受取人たる相続人を欠くことになり、受取人指定がなかつたと同様になるから保険金請求権は相続財産を構成すると言うに在る。

然れども包括遺贈によつて遺留分なき相続人たる地位を失うとするのは、控訴人独自の見解である。

遺留分の有る相続人も遺留分の無い相続人も相続人たることに於て何等の逕庭はない。唯遺留分ある相続人は遺留分権利者として包括受遺者に減殺請求をなし得るに反し、遺留分なき相続人には減殺請求権がなく、相続による実を挙げることができないと言りに止まる。

控訴人は相続人たる地位と相続による権利義務の取得とを同一視し、相続による権利義務の取得がなければ、相続人たる身分上の地位も失われるとする論理の飛躍の上に立論するものであつて、その主張は到底認容することを得ない。従つて控訴人の右前提が誤つている以上本件保険契約が受取人の指定なきものとなるとの控訴人の主張は理由なきものである。

(ハ)控訴人の主張の第三点は(準備書面第四)指定受取人を「相続人」と表示し、その氏名を示さなかつた場合は、右保険金は保険事故発生のは相続財産を構成すると主張しその立論の根拠として氏名を表示せず「相続人」と指定することは保険契約者の意思解釈として保険金を相続財産とする積りであつたと解すべきであると言うに在る。

然れども保険金受取人の指定は、契約者が保険金を契約者以外の第三者に受取らしめんとする保険法上の法律行為であつて右指定に基き、指定受取人は保険事故発生に当り、直接自己の固有の権利として保険契約上の利益を享受するのである。(商法第六百七十五条第一項前段)

受取人の指定は第三者の氏名を特記した場合は勿論「相続人」「正当相続人」とのみ表示して氏名を特記しなくても指定として有効であり、その場合は、保険事故発生の際の被保険者の相続人が固有の権利として保険契約上の利益を享受し(大審院大正八年(オ)第九三四号民事判決録二五輯二二三九頁)、従つて右保険金請求権は被保険者の相続財産とならざるものである。

特段の理由に基き本件に於て「相続人」との指定は無効であると主張するのならば格別、右指定を有効としながら、単に意思解釈として「相続財産とする積りであつた」となすは牽強附会の譏を免れない。

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